南海 なぜ固有性を大切にしなければならないのか。それは、固有性が言葉や風土や歴史をもった人間の集団の具体的な現実の存在そのものであるからです。集団が集団として歴史を越えていくということにおいては、その集団の固有性はまさに生きている。
社会変革の運動は、意識においては日常意識の外から持ちこまれる。このとき、その運動が存在としての集団の運動であるためには、外から来たものは集団の固有性を、それ以外にあり得ないものとして尊重する。そうでなければ集団の運動とはなり得ない。
固有性を大切にし得ない運動は弱い。「日本のことが何もわかっていないではないか」という反撃に答えられないからです。日本の戦後民主主義の枠の中の市民運動などにその傾向が強い。その人たちの声は結局は世の深部に届かず、1980年代90年代に草の根保守の反撃を許しました。
北原 私は「ウーマンリブ」、「フェアートレード」、「ベーシックインカム」など、横文字音訳によって表されるような運動もまた同じ範疇にはいると思います。
しかし一方、固有性を大切にするというが、そこから本当に普遍が獲得できるのかもまた開かれた問題です。あるいはこの普遍は、西洋が作り出した「普遍」とどのように異なるのか。固有性を失わない普遍性というのは、現実に存在しうるのか。これらはすべて開かれたままの問題です。
前掲書の第2章「世俗と超越と」では次のような日本の個別の問題点の指摘が注目されます。
臼杵陽
日本のこれまでの歴史をみると、個のレベルでは葛藤をともないながらも非常にすんなりと、その立場の移行が行われることがしばしば起こっていることがわかります。なぜそうなってしまうのか。転向論にしても棄教論にしても、日本では−日本の知識人においては、と限定していわなければいけないのでしょうが−二項対立的な境界が、非常に曖昧になってしまう傾向がある。では、二項対立の場そのものを切り崩してしまう、その曖昧さの論理は、一体、何かのかというのが、今回、非常に意識した点です。
なぜ曖昧な境界性を問題にしたこというと、それは、境界が曖昧になることによって断絶した淵を越えたことを意識しないまま境界を越えている、ということが認識されないことを意味しているからです。それぞれの知識人が、あるいは一人の人間が、何かをおこなうときに、自覚化されずにそのような移行がなだらかに、かつ、すんなりなされている。それが、ひいては国民全体にまで敷衍している、といってしまうのは、少し問題かもしれないですが、その問題をどう考えればいいのかと意識しました。
北原 これは十分考えなければなりません。形こそ違え近代の二重性に由来する普遍的な問題の日本における現象であり、解明していけば、おそらく問題は固有性と普遍性の入り組んだ問題であろうと考えられます。
明治革命でもなぜ「攘夷」つまり西洋帝国主義と闘うというスローガンを掲げて闘った討幕派が、勝利すればただちに「開国」に路線を変える。なぜそんなことができるのか。「攘夷」といい「開国」といい、それは単にそのときに都合のよいスローガンでしかなかったのか。
「鬼畜米英」がなぜ一夜で「アメリカ万歳」になるのか。ここでも同じことです。西洋帝国主義と闘いアジアを解放するという建前はまったく地についたものではなかった。昭和天皇自身が自らの統帥権のもとで戦争をおこないそれに敗れるや、アメリカに命乞いをし、皇統が守られることを確認して敗戦を受け入れた。
「二項対立の場そのものを切り崩してしまう、その曖昧さの論理」は確かにあらゆるところに貫かれています。ここには歴史的、地勢的に形成された日本での固有の問題があるかも知れません。
南海 しかしまたその固有性の内には、単にあいまいとか無原則な民族性とか言って終わりにすることのできない、より高い立場からの原則性があるようにも思われます。人民が建前としての「二項対立」に対して、それよりもっと大切なことがあるとこれを乗りこえていくようなことなのですが、ここはまだ十分には考えられていません。
日本の個別性に関していえば、次のような意見も注目すべきです。辺見庸さんが、09/01/30-02/13にわたって『週刊金曜日』で『生体が悲鳴を上げている』として書いています。
ヨーロッパの哲学者たちは、剥き出しの生に晒されたナチスの時代を経験し、人間の根源を問うた思索というものがあった。それがこの日本では、朝鮮半島を植民地にし日中戦争においてはあれだけの人間を殺しながら、人間の生を剥き出し、あるいは剥き出された経験をしながらも、まだ根源的な思索がないのです。広島、長崎への原子爆弾投下を経てもなお、思想的、文化的に深い総括をしえず、米国に屈従し、ただあこがれ、へつらいながら生きてきた。自前の反省と思索をこれだけしなかった国というのは世界でも希有なのです。
北原 私は「自前の反省と思索をこれだけしなかった国」と国家でくくることには賛成できません。そのうえで、良心的な知識人をはじめ市民的な運動、そして右派民族派の人々まで、あの侵略戦争について政治的な責任を内部からは追及せず、一方また原爆投下という大量破壊兵器を実際に使ったアメリカの戦争犯罪を追求することもなく、戦後の時間をやり過ごしてきたことは事実です。アジアの解放を願い、故郷の山河を思って死んでいったものは浮かばれないままです。
見るべきほどのことは見、体験すべきほどのことは体験しながら、そこから今後への教訓を引き出すこともせず、日本人が戦後、偽善的に生きてきたのは事実です。水に流すということは、すべてを記録にとどめ、すべての責任を明らかにしこれから逃げず、そのうえで生き残った人民が過去の恩讐をこえて階級として連帯するときにのみ、用いることのできる言葉であらねばなりません。
南海 このようにわれわれは本当に深い、深刻に考えるべき課題を負っています。これを棚に上げておくことはできないはずです。
最近『英語にも主語はなかった』(金谷武洋、講談社選書メチエ288)を読みました。カナダの大学で日本語を教えるなかで三上章の日本語論に出会い、主語という概念が西洋語のものであって普遍性のあるものではないこと、また主語という概念なしに日本語論を組み立ててこそ、明解に日本語を教えることができるということを経験した人です。そのことを書いた書『日本語に主語はいらない』(金谷武洋、講談社選書メチエ230)に続いて書かれたのが本書です。主語を指向する英語と、主語を求めない日本語の比較から、文明の比較におよんでいます。
その上で、一神教を土台とする西洋の学に対し、汎神論の学問を打ち出すことを述べています。
汎神論のための宗教学 宗教と言えば,宗教学という分野も西洋的一神教が土台となっていることを三浦正弘氏が見事に指摘している。『主語はいらない』を読んで送って下さった『汎神論のための宗教学』で,パレスチナなどの宗教戦争が結局は一神教同士,つまり排他的な「絶対]と「絶対」の泥沼で,これには結局出口がないと述べておられるが,まさに同感である。本書の第2章最後に出て来る「普遍文法」は現代英語を土台にした文法だが,これも一神教と同じ絶対志向の考えである。我々は日本語語文法を盾として,これに反対していかねばならない。三浦氏の次の言葉は三上章の文法理論とも,本書の主張とも,また先ほど引用した西田の「遺言]とも同じ,「土着主義|という虫の視点から発せられたものである。
絶対を旗印に戦争をしかけ,汎神論に立つ宗教を弾圧することは果たして文化的・開明的・進歩的で,科学的に許されることなのだろうか。汎神論の世界に住む者にとっては何とも迷感で手前勝手な論理に困ってしまう。
(中略)これに対抗するためにはやはり汎神論を主体とした学問を打ち立てねばならない。日本人は日本人の身体にあった学問をするのがやはり理にかなっているし、世界平和のためにも有益だろう。これこそ日本人が世界から尊敬をかちえる近道だと思う。
ちなみに三浦氏は姫路市の高校の国語の先生で,神主さんでもある。こうした人に拙著を読んでいただけることは本当に嬉しい。まさに同志を得た思いがする。やはり高校で教えている時に世界に通用する理論を打ち立てた三上や西田と同じように,三浦氏にはぜひ汎神論を土台にした宗教理論の体系を樹立していただきたいと願ってやまない。三浦氏の嘆く「横文字を縦に翻訳することが学者の仕事と心得ている日本の学者」には,それはおそらくできない仕事であろう。
「汎神論を主体とした学問」にはわれわれの「日本語に内在することわりに根ざした学問」と共通の志向性をもっていると思います。それはわかります。われわれもまたその志向性のもとに活路を模索しています。
しかし、ここで≪西洋、一神教、排他的≫とつながり、その限界を超えるものとして日本語と汎神論が出されると、それは余りに楽観的すぎないかといいたいのです。「絶対を旗印に戦争をしかけ」といいますが、では汎神論の日本がなぜ侵略戦争をはじめたのか、そしてきっちとした総括なしに水に流せるのか、これに答えなければなりません。
汎神論のゆえに水に流してゆくことができるのであるとすれば、汎神論はなにもいいことはありません。一神教の西洋に代わるものとして、東洋、あるいは多神教、また汎神論を対置する論はいろんなところで見ることができます。狩猟文明の西洋に対して農業文明の東洋を対置し、西洋のゆきづまりをうけて後者に何らかの希望を見出そうとするのも同じことです。
しかし、これらはすべて過去を水に流すことなく、辺見庸さんのいう「自前の反省と思索」をやり抜き、それをくぐり抜けないかぎり無意味です。説得力はありません。
北原 確かに。汎神論の寛容がいわれますが『定義集へ』「日本語の今」「混成語・日本語」に書いたように、天皇制は他者に対して寛容ではありません。一視同仁は服従したものに対することであって、まつろわぬものに対して天皇制は非寛容でした。
縄文人のなかにタミル起源の弥生文明が入り、長い時をへてある程度は混成していた。そこに征服王朝としてヤマト政権がやってきた。ヤマト政権にまつろわなかったもの、それがまつろわぬ民であった。ヤマト政権はまつろわない民に対し、同化か滅亡かの非情な態度を一貫させた。今日、台湾島では政権が公認する少数民族だけでも十四存在している。それに対し、日本政府が国際人権規約に基づく国際連合への報告書に同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである。つまりその他はすべて亡ばされたのである。ヤマト政権の同化政策は厳しかった。
古代においてこのようであり、近年はよく知られた日本軍国主義の残酷さです。どこが農業文明の寛容でしょうか。ですから、一神教に対置する農業文明や汎神論は、近代日本や天皇制の総括ぬきには説得力がないのです。
南海 日本列島弧の歴史が、つねに外来する文明によって形成され内発的な展開の暇がないままにやってきたことと関係があるかも知れません。日本語は外来の言葉を受け入れるのに非常に柔軟な仕組みをもっています。逆にそのことが言葉を内から耕すことをせず、内部に否定のことわりを育てなかった原因かも知れません。
このようなことは言えばきりがありません。しかしわれわれは与えられた条件のなかでやるしかないのであって、その与えられた条件の固有性をつかみ、それをほぐし、たりないものを加えていくしかないと思います。
靖国問題については前掲書で高橋哲也さんが次のようにいっています。
高橋哲也 国家神道のなかで、靖国は決定的な重要性を特っていたと思います。天皇と国家のために命を捨てた人を祀るというわけですから、国民一人ひとりの生と死に直接、結びついている。その図式で敗戦まで来た。明治から敗戦までの時期、つまり近代目本の世俗と超越を考えるときには、国家神道や靖国というものの曖昧さ、そしてだからこそもちえた支配的な力が問題になってきます。
北原 現在、象徴天皇制はそれ自体が大きな曲がり角にきている。これが何に起因するのか、そしてこれからどうしていくのか。天皇問題は、現代日本人が選びとる問題なのか、それとも与えられたものとして変ええないものなのか。私にも考えるところがあります。後にここで考えていきたいと思います。
アメリカにおけるキリスト教、日本における天皇制、いずれも同じように法を越えたところで近代的な国民統合の役割を担っている。近代はそのような疑似宗教を必要とする。この意味では靖国の問題もまた、近代国民国家の二重性の範囲内の問題であるということもできる。
先の『週刊金曜日』の一文で辺見さんが天皇問題に関して次のようにいうのは賛成です。
あの人たちをを穏便に天皇制から解放して、個人の尊厳と自由、権利をもってもらおうと、軽やかに朗らかに提案してもおかしくはないでしょう。天皇や皇太子たちに記者らは天皇制存続の是非につき直に考えを問うていい。九条についても考えを問うていい。イギリスだってオランダだって、そういう提案をしても何の問題もない。しかし、日本では大変危険なわけです。記者が無理に記事にしたら皇室担当をはずされる公算が大です。そんな国がどこにあるのか。この国では一木一草に天皇制が宿ると誰かが言いましたが、そういう思考がまだわれわれのなかにあるのです。左翼にも天皇制がかかわる心的拘束がある。それが思想の発展を妨げる内的禁忌をつくっているのです。天皇制なくしてこの国はやっていけないのか−−これは、マスコミ、思想界が故意にさぼり、自己規制してきた重大なテーマです。
北原 日本列島弧の人間はそろそろ天皇なしにやっていかなければならない。しかしそれには準備がいる。天皇制があるから「思想の発展を妨げる内的禁忌をつくっている」と辺見さんは書きますが、実際は現実に立脚して思想を鍛えることによって、内的禁忌を打ち破る。それが天皇制を内から破っていくことであり、天皇なしにやっていける人間の誕生である。そしてそれが日本の近代の内実である。
南海 総括しうる言葉を準備する、あるいは総括に向けた思索の中で言葉を耕す、それがわれわれの意志ということなのですね。
北原 それ以外にはありません。それがまた近代の二重性からわれわれの人間としての生存を奪いかえすこと、その基礎となることでもあるのです。
一連の思想作業を担いうる言葉を育てなければならない、そのための準備として構造日本語を再検討する、これが青空学園の当初に設定した課題でした。
この作業なしに天皇問題を論じても、それは結局天皇制に絡めとられるだけだと考えてきました。それはいまも変わりません。それがまた人民の近代の内実を生み出していくことそのものであると思います。