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方法を問う

帰納的探究と演繹的構成,これこそが高等数学で実践し,大学初年級で目的意識をもって身につけるべきことである.そのうえで,これらを学問としての高校数でさらに具体化するために,いくつかの入り口となるものを制作してきた.その第一が,高校生のための数学方法論として書いた『高校数学の方法』であり,この間,版を重ねてきた.

高校数学の方法

高校生はまず数学の問題に出会う.では,数学にとって問題とは何か.数学では実際に問題を解くことがその根幹にある.数学の問題は他の教科の問題とは少し意味合いが違う.

世界史において教科の内容を学ぶこととは,基本的な歴史的事実をまずしっかりとつかみ,そのうえでその事実が歴史のなかでどのような意味をもつのかを考え,まとめることである.世界史の試験は歴史的事実をどれだけ把握しているかということと,その事実の意義を評価する力がどれだけあるかを試すものだ.

それに対して数学の問題は,それ自身が数学現象である.数学はすべて現実世界の量に根拠をもつ.そこから一定の抽象を経て,数学的な諸現象が得られる.数学的現象を調べること自体が数学の問題なのだから,その意味で数学は問題自体の中にある.問題を解き,疑問を解決し,わかったことをまとめる.このような営為そのものが数学なのだ.

数学はいつも「これは本当だろうか」という問い,「これを求めるにはどうしたらいいのだろう」という問い,これを原動力にしてきた.こうして論証のための体系がまとめられていった.既知なことが整理され体系化されていった.そのようにまとめられた体系は系統だって学校教育のなかで教えられる.しかしそれだけでは知識に過ぎない.

数学するとは問題を立て問題を解く実践そのものである.演習問題は数学そのものの超縮小模型である.だから数学では問題をどんどん解くことがどうしても必要である.結果だけが解答ではない.それが確かに問いに対する解であることを論証しなければならない.ここまで含めて問題に対する解答なのだ.このような数学の実践,それが問題を解くということだ.高校生にとって数学は問題の中にあり,問題を解くことは数学に触れることなのだ.

数学の問題の構造を実際の問題を通して調べ,それを手がかりに問題を解く方法論を身につける.問題に対面したときに意識的に方法を考えることが身につけば,その結果として,実力が飛躍する.方法をおぼえることよりも,どう解こうかと方法を考える態度を身につけることの方がはるかに大切なのだ.

『高校数学の方法』は,高校数学の方法論としてはこれ以上のことはない.そういうものとして書かれている.

ある知らせ

大切なことは,方法の意識化,である.これが高校生に可能なのか.実際これを受けとめる高校生はいる. ある年の春には次のような報告がサイトの掲示板に寄せられた.
     自宅浪人の末,京大文学部に合格した者です.青空学園の「高校数学の方法」,「整数の基本」,「確率の基本」を勉強させていただきました.どの本も難しく,完璧には消化しきれなかったです.しかし,学校では聞いたことのない「方法」という観点などから,数学の奥深さや論理の大切さを感じられたように思います.現役の時は0完だった二次試験も今年はほぼ3完することができました.

     また,「勉強のすすめ」からも力をいただきました.たとえば「内因論」,たとえば「分からない,からあと5分」.うまくいかないときや,自分のこれからについて独りで考えるとき、この言葉に助けられました.数学は,いまだに僕にとっては難しいものですが,この一年間取り組んでみて,数学の問題の解き方だけではなく,様々なことを考えることができました.これからも,多くの困難があっても,しっかりと考えながら生きていこうと思います.本当にありがとうございました.

この人は確かに,「方法」という観点,を捉えている.そしてこれを大学初年級でもういちど意識して学ぶのである.そのような教育の全体ができてゆかねばならない.可能ではあるが,現実の学校や大学にはない.それが近代日本の数学教育の現実である.

それでも青空学園の提起を,受けとめる高校生や卒業生はいる.どこの誰かはわからなくてよい.これが文化である.数学すること,つまり定義を理解し,命題の根拠を示し,自ら考え,計算し,そしてわかる喜びを知ること.これを伝えなければならないし,それは可能である.

そしてこれは,高校卒業後にこそ,方法を方法として探究するという意識化が必要である.大学初年級で,このような教育が一般化してゆけば,それこそ日本に iPhone 以上のものが生まれ,世のなかのさまざまの組織における大きな枠組が,生み出されるだろう.しかしそれは,はるかに先のことであり,教育数学が教育運動として大きなうねりとなり,実際に数学教育が変革されてゆかなければ,ありえない.





Aozora 2018-08-09