教員時代、言葉と文字の問題を、多くの経験を通して考えさせられた。
第一には、在日朝鮮人三世の少年Kを通して言葉を取りかえすということについて教えられた。近代の日本は、台湾や朝鮮を植民地支配した。日本の植民地政策の基本は「同化」であった。それは要するに、言葉を奪い文字を奪い民族としての同一性を解体して支配しようとするものである。 K の問題もまたこの政策の結果である。
私はこれに対して、「なんと日本はひどいことをしたことか」という観点から考えていた。しかし、考えてみれば、 K は、母語を奪われよって立つ言葉が定まらないなかで、必死に勉強し生きる力をつけ、言葉を取り戻し、日本のなかで生きぬいている。奪われたものは、奪われたことを自覚し、取り戻す闘いをはじめることで、人間として復活する。彼らはたくましい。
それに対して、むしろ日本というもの自体の内部に大きな空洞ができてしまった。「人の自由を奪うものは自ら自由ではありえない」と言うが、まさに、言葉を奪い、姓を奪い、名を奪う同化政策が政策として可能だと考えたところに近代日本という文明の底の浅さがあり、そのことをわれわれ自身が本当には知らないままにこの百年を走ってきた。その結果、われわれが人間としての土台を失いつつあるのではないか。オウム真理教の事件、神戸の少年事件、等々はその空洞が引き起こしたのだ。
最近、テレビで、七〇年代初期にフォークソングの旗手だった日本人音楽家が、その後自分を見失い農業に従事するかたわら遍歴を重ね、ついに、韓国の伝統音楽を現代に復興した音楽家に出会い、勇気を与えられ、自らも日本の伝統的なリズムを復興しつつある、という記録が放映された。ここでも同じことが言える。伝統と文化を奪われた韓国こそが、それを自覚して取り戻し、逆に日本人の側が韓国芸術家に教えられたのである。
私は、私の固有の言葉が日本語であるとの自覚をもつ。だからこそ、かつて彼らの言葉である朝鮮語を奪ったことの意味もまた理解できる。そしてまた、なぜ固有の言葉を奪うことが許されないのかもわかる。今日、世界の各地では、人間は固有の言葉を守るために命をかけている。かつての三・一蜂起もまた朝鮮語を守るための命をかけた蜂起であった。それに対して、現代日本国の言葉の固有性に対する鈍感さは、現代日本社会の弛緩そのものである。
もう一つ、文字についても教えられた。 私は学生時代に受けた西欧言語学の影響もあって、教員をしてからも「言葉とは音であり、文字は音を写すものである」、「ロゴスは音に宿る」という考えに立っていた。しかし、人間にとっての文字の意義を再認識する経験をし、文字というものはもっと人間の言葉に本質的で内在的のものだと考えるようになった。
部落解放運動の土台にあったのが「識字運動」であった。六〇年代末当時、日本では明治以来の教育政策の結果、識字率は世界的にも大変高いものであったが、しかし、部落の識字率は当時も日本の平均を大きく下回っていた。明治になっても部落の人々は職業を奪われ不安定な職に追いやられ、食べていくには小さな子供の労働を必要とした。そのため、部落の子供は子守や奉公に出され、学校へ行けなかったり、小さな兄弟を背中におぶっていかなければならなかったり、しょっちゅう学校を休まなければならない状態であった。学校に行っても「授業中、背中の子が泣くからじゃまになると言って、水の入ったバケツをもって廊下に立たされた」とか「月謝がおさめられないために学校へ行けなかった」などの経験を持つ人が少なくなかった。
近代日本の学校は部落の子供たちを切りすて、邪魔者扱いをさえしてきた。その結果、読み書き計算というもっとも基礎的な力を保障されないままに放置されてきていた。つい六〇年代末まで、それが続いていたのです。私が担任していた生徒の親にも「運転免許が取りたいが、字が読めず筆記試験が受けられなかった」という人がいた。 六〇年代後半から七〇年代にかけて多くの部落で解放運動の組織が生まれた。組織化されて差別に対する闘いが始まると、それに伴って、内部から、字を覚えたいという要求が出てくるのは必然であった。「識字学級」が始まり、学校の教師がその支援に行った。支援して、実はそれ以上に多くのことを学んだ。
そういうなかで私は、識字学級で字を覚えたある婦人の「字を覚えて、はじめて夕焼けを美しいと思った」という作文に出会った。私は、文字を覚えるということを、免許が取りたいとか、役所の窓口で困ったとか、実際の生活での不便の問題と思っていたし、識字学級に来る人もまたそこに現実の動機があったと思う。しかし、字を覚えるということはそれ以上の意味があった。字を書くことによって人は自分の考えを客観的に見るようになり、自己との対話が「独り言」から自覚的な「対話」になる。この対話を通して、人は深く人間になる。そのときはじめて「夕焼けが美しい」。その意味で、文字は言葉にとって、つまり人間にとって、本質的で内在的なものであると知った。
自分が抱いていた近代日本語への違和感は、ここで新たなより深い問題とつながった。在日朝鮮人と言葉の問題、被差別部落と言葉の問題はいずれも彼らの問題ではない。彼らはたくましく生きている。彼らの生き様に照らし出される近代日本人の問題なのだ。