玄関>転換期の論考

■ 敗戦記念日に 11/08/15

8月15日、敗戦の記念日である。あの戦争については二回書いた。「 あの戦争はまだ総括されていない」(2009-08-19)。「六十五年目の夏」(2010-08-08)。これらで書評を通して私の考えは書いているが、今年は8月9日に「志村建世のブログ」の「長崎への原爆投下は避けられた」にコメントをつけた。それに対して基本的に賛成いただいた。

ポツダム宣言はすでに7月17日に出されていた。しかし、昭和天皇と戦争を遂行した旧体制は、その支配力を残そうと中立国を通じて連合国側と交渉していた。結果、受諾までに一ヶ月もかかった。その間に広島の原爆があり、ソ連参戦があり、長崎の原爆があった。すでに戦争能力のない日本に対して、原子爆弾という大量破壊兵器を使ったアメリカの戦争犯罪はいまだ裁かれていない。同時に、アメリカに原爆投下の理由を与えたのは、延命を図り敗戦受諾を遅らせた旧体制である。

最近『はだしのゲン』の著者である中沢啓治さんが次のように言っておられるのを読んだ。『週間金曜日』8月5日「原爆と原発―怒りの表現者たち」より。この号は読み応えがあった。

 ―ABBC(原爆障害調査委員会)に見られるように日米はいびつな協力関係にもあります。

中沢 本当に矛盾してます。アメリカはポツダム宣言でちゃんと予告したわけです。強大な破壊力の用意があると。あの時点で降伏すれば広島と長崎の被爆はなかった。そもそも天皇は東京大空襲を巡幸して惨状を見てるんだから、負けることはわかってたはずです。天皇制の保証がないから拒んだんでしょ。その天皇が、戦後のうのうと広島に来て、日本人がまた万歳して喜ぶ。イタリアではムッソリーニが逆さ吊りにされて、子どもから老人までが石を投げたんです。ニュース映画でアップになると、どの顔も、どの顔も、よくも俺たちをこんな酷い目にあわせたな、お前を許さんぞ、って怒りの顔です。

―日本にそういう光景はなかった。

中沢 逆ですよ。腹が立ったのはね、学校で先生が半紙を配るわけです。真ん中に円を描け、赤のクレヨンで塗りつぶせって。竹に巻きつけて、翌日、相生橋の土手に並んで行幸する天皇に振れと言う。なんちゅうおめでたい日本国民か。僕は待たないですよ。冗談じゃない、誰が日の丸なんか振るか! 天皇の乗ったフォードが目の前を通るとね、黒いソフトに白いシルクのマフラーが見えた。それ見たらて一二月の震える寒さの中で、火がついたように熱くなったですよ。こいつのせいで弟も姉もおやじも死んだんだと、悔しさではらわたが煮えくり返った。転がっている瓦の破片を下駄でパ〜ンと蹴ったら天皇の車のタイヤに当たって跳ね返ったの。ものすごく鮮明に覚えてるんです、本当に腹が立ったから。他の生徒は嬉々として万歳してるの、教師が音頭とってね。本当にもう馬鹿じゃないかと思ったね。悲惨な焼け野原で飢えてる子どもたちに、その責任の頂点にいる奴に万歳せいって。教育は恐ろしいです。

 最近、橋下徹・大阪府知事が「君が代」を起立斉唱しないなら公務員やめろなんて言ってるでしょ。いらんお世話。僕なんか国歌を替えろ、青い山脈でも歌え! って言いたい。♪わ〜かく明るい歌声に〜。あれは焼け跡から立ち上がっていく若者の歌。戦後の解放感がある。ああいう国歌をつくればいいんです。近頃、嫌な空気を感じるね。右翼とか野放しにしちゃいかんと思います。これが進行すると憲法を変えられ、がんじがらめにされますよ。その前にみんなで反対しなきゃ。マスコミも天皇制をタブー視しすぎるのがいかんです。このままずるずる行くと、またひどい目にあう。そういう体制を作っていく奴らを許さないで、きちん伝えていかないと。

 まず勇気ある発言に敬意を表したい。このとき昭和天皇とともに温存された旧体制。それが戦後日本の官僚の無責任とアメリカ従属の親米売国体制を生み、そしてそれが今日の福島原発事故に至ったのだ。この事実から何を学ぶか、である。

 個人の問題ではない。現下の天皇制度は東電や原発官僚と一体の日本の旧体制の一部である。東北大震災では、人気のない閣僚に代わって天皇やその一族が頻繁に現地を訪問した。この動き自体が「このままずるずる行く」ことそのものである。このままずるずる行かないために、中沢さんはなし得ることをした。老若男女みな、古里の山河とそこに暮らしてきた人々を守るために、なし得ることをしなければならない。

日本列島弧は5000年以上前から人の棲むところであった。縄文の時代である。3000年前、弥生の文明がはじまった。その特徴は水田耕作である。こうして長く縄文人と弥生人が争いながらも共存し混血するときがながれた。日本語はこのときをとおしてクレオール語として成熟した。

3世紀になって、ここに天皇家の祖先が征服王朝として列島弧に来た。この時代、中国大陸は大動乱の時代であった。大陸での覇権に敗れた王朝が日本列島弧に逃れ、そしてそこでの支配者となった。ちょうど国共内戦に敗れた蒋介石が、台湾島に逃れそこでの支配者となったのと同じである。新たな支配者は列島弧の習俗を自らの習俗として取り入れることで、民俗は天皇家から出ているとする虚構をうち立て正統性を得るというものであった。

われわれの立場は、虚構を見ぬき、里のことわりを人々の手に取りもどそう、ということである。老若男女みな、古里の山河とそこに暮らしてきた人々を守るために、なし得ることをしなければならない。