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本稿は『 数学文化』第38号に寄稿したものである.

誰もが数学を体系的に学べる場の試み

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 私は,かつて公立高校で十数年間働き,その後数年間は他の職業につき,再び塾などで高校生に数学を教えることを生業にして,今に至っている.

  日本の大学受験生にとって「高校数学」と言えばそれは受験数学であり,数学の勉強とは試験に合格するための勉強である.しかし,15歳から18歳の頃の勉強は人生の基礎となるものであり,とりわけ数学は,その人の考え方や考える力の土台となるものでなければならない.それが,学問としての数学である.そのように考えてきた.
  学問としての数学の基本は,なぜそのようなことが成り立つのか,その根拠を探求することである.受験数学にそれはない.それで,受験のための数学を学ぶ場で,せめて出会った生徒には,学問としての数学を伝えたい,根拠を問う批判精神を育んでほしい,また数学を通してわかる喜びを伝えたい.そのような願いをもってやってきた.

  その立場から,高校生が数学を深くわかるように教えるためには,教える側が,命題が成り立つ根拠の体系とその構造をつかんでいること,そして高校数学に対する方法論をもっていることが必要で,それがなければ,教えることを全うできない.私自身が,授業を準備し,また終わってその日の授業を省みるなかで,いくたびかそのことを痛感した.
  日本の学校での数学は,明治以来,いわゆる西洋数学を移植したものであり,文化としては根なし草であることも確認しなければならない.いま,あらゆるところで数学は必須不可欠であるが,それはあくまで技術とそれを支える方法としての数学であり,数学がこの地の文化の根底を支えるものであるかといえば,そうではない.

  このように考え,問題を通して学んだことを,同じ思いをもつ教員や,自分で学ぼうという高校生,大学生の勉強の一助にと,1999年初秋からウエブ上に『青空学園』をおき,そこに数学科と日本語科を開設して,勉強したことを公開してきた.それはまた,自分で考えたことを客観的にみるということでもあった.
  青空学園数学科はウェブ上の仮想の学園である.高校数学や受験問題を学問として学び,力をつけようと呼びかけている.学問としての高校数学の復権が願いである.私は,青空学園数学科を,高校生・受験生,大学初学年生,数学教員,数学をもう一度学ぼうとする社会人の誰にも開かれた,協同して働く協働の場としたいと考えてきた.

  ウエブのような公共空間を誰もが使えるということは,この時代に可能になった技術である.これは,かつての活字の発明と活版印刷の始まりにも匹敵する技術の革新であった.この間の経験を通して学んだことをのべてゆきたい.
わかってにっこりが原点
高校での数学と教育数学
数学とは量をつかむ言葉
草の根の数学の協働の場