さて,大学初年級の数学教育は,いまもう一度何を伝えるのかにおいて,根本からの見直しが必要なところに来ている.
今回の共同研究の開催趣旨のなかに「『数学を修めたこと』によって共有されるもの」との言葉がある.しかし,現在の日本の数学教育の場においては,その「もの」の内容がところによって大きく違っているのではないだろうか.
従って,何が共有されているのか,されてはいないのか、こそが問われねばならない.高校数学から大学初年級の数学への橋渡しの所で,考えるべき問題の一端を提起したい.